2022年11月21日月曜日

会報20号秋号完成!12月議会が始まるまでにお配りしたいです。

会報20号秋号を発行しました。ただいま鋭意配布中です!

さて前回、9月議会で建設経済委員長お役御免と書きましたが、ギリギリまで充て職での出番が続き、11月19日や25日にもご案内をいただきましたが、11月15日をもってお役御免でした。
市議会を代表することもあれば、市を代表することもあり、ささやかなスピーチや発言の機会にここぞとばかりに市や地域の課題解決を訴えさせてもらいました。
相手は府県や市町それぞれの関係者の面々で一議員としてなかなか話を通せない方ばかり。
大変良い機会をいただきました。

しばらくは経験を振り返り、次の機会に生かしていければと一息つきかけましたが、一定期数の議員不足の昨今、役を避けることが出来ず・・・11月15日の臨時議会でありがたくも総務委員長を務めることになりました。

臨時議会や委員長としての出番などがあり、時間がない中で今回は9月議会のまとめや防災の事例から地域を担う役割分担について問いかけてみましたが・・・。

読みたい!欲しい!と嬉しい声をあげてくださる方は、ご一報いただければと思います。

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ちなみに9月議会の一般質問リンクも掲載しておきます。6月議会で言えなかった締めの言葉を継ぎ、改めて言葉にしました。20号の最期の青地のところです。実際はどんなだったの?と気になる方、下記より動画をご覧いただければ幸いです。是非ご感想もお聞かせください。

2022年11月1日火曜日

3年ぶりに委員会で管外視察へ その2

 2日目は今回の視察の目玉、大洲市DMOのお話をお聞きすることに。元々は視察日程が立て込んでいるため、市役所の対応だけということでしたが、伺ってみるとキタマネジメントの事務局次長も同席頂けることに。聞けばDMOを立ち上げる際、豊岡市に来市されて豊岡観光イノベーション(TTI)を手本にされたのだとか。大変感謝され、恐縮いたしました。

2日目-愛媛県大洲市-

 大洲市(おおずし)は、愛媛県の南予地方に位置する市。伊予の小京都と呼ばれる大洲市の中央部を流れる肱川は、その源を東宇和郡宇和町正信(標高460m)に発し、宇和盆地を南下した後東に向きを変え、狭隘な山間部を経て大洲盆地を貫流し伊予灘に注いでいる。流域面積は、1市11町2村にまたがる1,210平方キロメートル、幹線流路延長は、黒瀬川、舟戸川、河辺川、小田川、矢落川などの支流を含む103kmに及ぶ愛媛県下で最大の一級河川。流域面積の約90%が山地であり、平野は、上流の宇和・野村、中流の大洲盆地だけで、その他は山裾が川まで迫る状態が河口まで続いている。水源地と河口が直線距離にしてわずか18kmしかなく、大きく肘のように曲がった流れからこの名前がついたと言われている。日本3大鵜飼いのひとつ「水郷大洲の鵜飼い」には、夏から秋にかけて、多くの人々が訪れる。
 紀元前1万年頃から人々が住み始めたと考えられており、縄文、弥生時代には、田合(たごう)遺跡等多くの遺跡、遺物が豊富で、長い時代に及んでいる。巨石が崇拝され、東洋一といわれる高山のメンヒルをはじめ、市内50数箇所に巨石や巨石群が構築された。
 大洲は、伊予国宇和郡に属し、866年には独立して喜多郡となった。喜多郡は、矢野郷・久米郷・新屋(にいや)郷の3郷に分かれていた。鎌倉時代、大洲地方を治めた伊予国守護宇都宮氏は着任から240年近く支配。その後乱世を反映し、大野直之、小早川隆景、戸田勝隆らが城主となり、1595年豊臣秀吉の重臣、藤堂高虎が、板島(宇和島)から大津(現大洲)に入り、1609年淡路国州本城から入城した脇坂安治に引き継いだ。大洲城を近世城に改造したのは、藤堂氏から脇坂氏時代とみられ、町割りなど近世城下の基礎は藤堂氏が、現在復元している大洲城天守の造営は脇坂氏が行ったとみられている。脇坂氏の後を受けて1617年に、加藤貞泰が、米子から大津へ転封して以来、明治維新まで12代、250年余りにわたって大洲は加藤氏の治政のもとにおかれた。
 日本の陽明学の祖といわれる、儒学者近江聖人中江藤樹先生も10歳のとき、加藤貞泰とともに大洲に移り27歳まで大洲で暮らし、勉学に励み、門人たちに「大学」を教えた。「人の道」を説いた藤樹先生の教えは、今も大洲の人々の心に深く刻まれている。明治の先覚者として、国学者の矢野玄道、明治憲法制定に尽力した香渡晋、シーボルトに仕えた医学者の三瀬諸渕、函館五稜郭(ごりょうかく)を設計した武田成章など多くの偉人を輩出。
 かつては、手すき和紙、木蝋(もくろう)、製糸業が盛んで、現在でも、和紙は大洲和紙として、蚕糸は良質の伊予生糸として知られている。昔から肱川のもたらす肥沃な土壌を利用した農業を中心に発展してきたが、近年は第3次産業への従事者数が50パーセントを超える。

大洲市
人口(R2/10/1)
40,575人
面積
432.12㎢
産業別
第1次 11.6%
第2次 21.4%
第3次 63.3%
分類不能 3.7%
就業人口
20,892人
※産業別、就業人口はH27国勢調査時
豊岡市
人口(R2/1/1)
78,192人
面積
697.55㎢
産業別
第1次 6.1%
第2次 27.0%
第3次 65.1%
分類不能 1.8%
就業人口
40,709人
※産業別、就業人口はH27国勢調査時


・視察テーマ 大洲市DMOの取り組みについて
―メモ―
■大洲市 状況と取り組み
・木蝋(ハゼ)と絹でかつて財を成した商家や旧家の空き家が江戸、明治、大正、昭和と数多く残る。
・老朽空き家や就職環境など「住んでよし」は行政が中心になって作り、「訪れてよし」は行政は分かりにくいので官と民が連携して作っている
・文化財をうまく活用することで町全体に活気が出、歴史的価値が経済的価値に生まれ変わった。
・観光協会も存続しており、肱川を屋形船を持って運航したり河川敷でいもたきなどを実施。
・歴史的建造物を使うと若いクリエイティブな人が入ってくる
・地方でビジネスチャンスがなかった人が入ってきて向うから声がかかるようになってきた
・地権者については、もともと市に寄付したいとか更地にして売りたいなど困っていたのが動機。H30年の豪雨災害で同時多発的に10人弱出てきた。
 ■DMO キタ・マネジメントについて
・キタ・マネジメントに市職員が出向し事務局次長として在籍、従業員が50名でうち正社員が20名。
・老朽空き家は基本的には賃貸として15年間の返済。
・DMOで購入し改修しているものもある。7施設所有。
・今年度中に30棟が改修完了。うち2カ所は国の登録有形文化財に指定され、空き家が格上げになった。今後登録有形文化財が増えていく。
・大洲市のDMOはマーケティングとプレイヤーそして不動産も持っているのが特徴 ・新しい価値を加えて、歴史的資源を維持しながら開発していくのが保全しながら活用するこの地域DMOの目的 ・城下町のエリアマネジメント、地域ごとに面的に管理する。
・キタマネジメントは複数の文化財観光施設を面的に管理し、公共でない住宅も管理
・お客様が楽しめる環境を面でプロモーションし、どこに立ち寄っても同じ水準のオペレーションができる観光まちづくりを担う。
・大洲城キャッスルステイは入場シーンを再現するプログラムで地域の人が2、30人でお出迎え。100万円でも安すぎるくらい。
・夏までに家族連れなど10組の予約が入っている。
・宿泊が経済的インパクトを与える1番の武器であり、高ければ高いほど裾野が広がる。
・宿泊だけで3万円を超える顧客を狙っていくことを見すえてショップを誘致して地域再生を図っている
■ホテル運営 バリューマネジメントについて
・ニッポニアホテルは市の1925と同じくバリューマネジメントが管理し、毎回違った部屋に泊まることが出来る。受付は1カ所。
・毎回違った部屋に泊まれるようにお客様の部屋情報を管理しており、全国のニッポニアホテルにおいてリピーターは大洲が一番多い
・受付を1カ所にしているのは分散型ホテルとして届け出。非常時の連絡体制や安全面、消防も計画を作って届け出。
■官民連携 (大洲市・キタマネジメント・伊予銀行・バリューマネジメント)
・官民連携は特に金融機関が間に入り、比較的低利の融資を実行
・まちづくりアイデアは官民連携の4者で年に数回アイデアだしの会議を実施している中で生まれている。キャッスルステイもその中から。
・15年の定期賃貸借。本当は20~25年あると楽だが15年でぎりぎりのファイナンス。
・改修の資金は制度設計上は半々。行政は外観保全と公開活用、耐震化は補助。国の交付金も半分あり、全体の半分は公費、半分は風呂やキッチンなど付加価値の部分。大前提として耐震補強を実施。
・ふるさと納税は返礼品開発を実施して売れ筋商品を作り、寄付金額を伸ばすことで手数料収入を得ている。
・民間の不動産業者と連携しており、古い建物のマイナスの資産評価をプラス評価に変えてバトンタッチしている。


-所感-
 文化財活用で町全体に活気が生まれ、歴史的価値を経済的価値に生まれ変わらせていました。大洲市DMOは既存の施設に新しい価値を加えて、歴史的資源を維持・開発・保全・活用しており、城下町のエリアマネジメント、地域ごとに面的に管理することを通じ、例えば歴史的建造物を使うと若いクリエイティブな人が入ってくるなどの効果が出ていた。お客様が楽しめる環境を面でプロモーションし、どこに立ち寄っても同じ水準のオペレーションができる観光まちづくりを主に担い、具体的なサービスはバリューマネジメントと役割分担がしっかり出来ていた。また、大洲城キャッスルステイは入場シーンを再現するプログラムで地域の人が2、30人でお出迎えしており、100万円でも安すぎるくらいとのことで、始めてから視察にいった段階で10組とも。
 大洲城の復元はまちのシビックプライドであり、市民からの寄付で再建したことはとても素晴らしい事業だと思った。